世界糖尿病デー関連イベント報告①医師〔内科〕体験
公開日 2017/11/27
去る11月19日(日)の午後、
「世界糖尿病デー」(※11/14)にちなんだ
イベントを調布東山病院で実施しました。
当院では初めての試みでしたが、
多くの方にご参加いただき、
盛況のうちに終了することができました。
あらためて御礼を申し上げます。
今回から何回かに分けて、イベントの模様を
紹介させていただきます。
今回は、大きく分けて次の4つを実施しました。
○医療職体験
(医師〔内科/外科〕、看護師、内視鏡体験)
○運動教室(ズンバゴールド/ヨガ)
○健康相談カフェ
○スタンプラリー
まずは医療職体験の医師〔内科〕です。
はじめにスタッフが診察の様子を
実演しました。
具合の悪い患者さま役は副院長が熱演。
よろけてます。
医師がレントゲン写真を壁に映しながら、
体の中について説明します。
続いて診察の実践です。
検査では体をたたくことがありますね。
試しにひざの下を器具でたたくと・・・。
他にもたたいて調べることがあります。
でもむやみにたたいているわけでは
ありません。
ということで、適切なたたき方と
音の違いを聞き分ける練習をします。
音と言えば聴診器。
人形の心音も聞いてみました。
続いて箱が登場。
早速習ったとおりにたたいてみると、
何か入っているようです。
出てきたのは白い物体。
これは何?と臓器のイラストと
合わせてみます。
どの臓器かわかったら、最後は
イラストを正しい位置に貼っていきます。
うまく収まりましたね。
ちなみに白い物体やイラストは、
医師の手作りです。
超音波検査も体験しました。
患者役のスタッフはひたすら
検査され続けてくれました。
練習キットを使う「模擬採血」にも挑戦。
「採血(=注射)されるの?」と
思った人もいたみたいですが、
そんなことはありません。
ただし練習キットといっても、
注射器は本物。
十分注意して行ってもらいました。
当初の計画よりもかなり増えたので、
紹介しきれないくらい盛りだくさんな
内容でした。
次回は医師〔外科〕をご紹介します。
「口から食べられなく」なったら、どうしますか?
公開日 2022/08/17
前回のブログと同じタイトル、ではありません。
今回は「」がついていますね。
「老いが進み、動けなくなり、
認知機能が落ち、飲み込みの能力が落ち、
やがていよいよ口から食べられなく
なったら、どうしますか?」
その問いに対する一つの答えを、
先日当院にお招きした石飛幸三先生は
「平穏死」という言葉で表されました。
前回のブログをまだご覧になっていない方は、
まずそちらをご一読いただければ幸いです。
さて、今回みなさまにお伝えしたいのは、
実は「その一つ前の段階」です。
当院は急性期病院という立場にありますが、
いよいよ「口から食べられなく」なってきた
ご高齢の患者さまが、数多く入院されます。
例えば誤嚥性肺炎で入院し、
抗菌薬の点滴で肺炎自体は改善したものの、
身体の機能や飲み込みの能力が回復せず、
口から十分な栄養を摂れる状態に戻れない。
そんな患者さまです。
この段階でご家族に求められるのが、
今後どのように栄養を与えていくか、
あるいは自然に任せていくか、
という選択になります。
胃ろうを作るか、中心静脈栄養を行うか、
普通の点滴のみを行うか、
食べられる分だけを食べて、あとは
自然に任せていくか・・・?
「胃ろう」「点滴」「自然のまま」。
言葉で言うのは簡単です。
しかし、それはご家族にとって
愛する人の命の選択であり、
そこには常に悩み、苦しみ、悶え、
涙する姿があります。
ですから「もう食べられません」という宣告は、
深刻な病名を告げる時と同様、私たちにとっても
非常に重大な告知なのです。
では「口から食べられなく」なるとは、
どういうことでしょうか?
普通の食事を普通に食べさせていたら
誤嚥性肺炎を数回発症したので、
「もう危ないから食べさせられません」
というのは「口から食べられなく」なった
と言えるでしょうか。
何とか口から食べられる方法はないかと、
本気で考えたでしょうか。
体の調子や精神の調子を整え、
再挑戦してみたでしょうか。
その方の好きな食べ物を用意してみたり
したでしょうか。
口の状態や歯の状態に気を配りは
したでしょうか。
飲み込み能力に合わせ、食べ物の形態や
調理方法を工夫してみたでしょうか。
食べる環境や食べる姿勢にも配慮は
されたでしょうか。
食事の介助方法を見直してみたでしょうか。
一生懸命考え、あらゆる手を尽くしてもなお、
どうしても「口から食べられなく」なったので
しょうか・・・?
先ほど記した「その一つ前の段階」とは、
患者さま・ご家族に「食べられなく」なった
という重大な告知を行うまでの、患者さま、
ご家族、そして私たちの仲間の戦いです。
前回のブログでご報告した通り、
9月11日に石飛幸三先生を当院にお招きして
ご講演いただいたのですが、
講演会は2本立てで、石飛先生のお話に先立ち
緩和会メンバーであり、言語聴覚士でもある
加藤あすか氏の講演がありました。
言語聴覚士は、音声機能、言語機能、
聴覚機能などに障害のある患者さまの
リハビリや指導・援助を行う職種ですが、
その業務に嚥下訓練(飲み込みの訓練)
が含まれます。
嚥下訓練が仕事ですので、
「口から食べられなく」なりつつある
患者さまを前に、常に第一線で
戦っているのが実は彼女なのです。
治療によってある程度病状が落ち着き、
いよいよ食事が可能かどうかを評価する。
その段階で彼女の戦いは始まります。
「どうやったら食べられるか」
「何か方法はないか」を常に考え、
あらゆる手を尽くす。
その中で様々な苦悩や葛藤が生じ、
翌日にまた挑戦し、時には喜び、
時には新たな悩みが生じ、その翌日に
また挑んでいく。
何とか「口から食べられなく」なったという
宣告をしないで済むように、最後まで
もがき続けるのが彼女です。
そんな毎日を送る中で、
彼女はある一人の高齢患者さまと出会います。
患者さまは101歳の女性。
超高齢ですが、それまでは何とか食事も
自分で摂れていました。
しかしある日、誤嚥性肺炎を発症して
当院に入院されます。
肺炎は抗菌薬治療で治癒し、彼女の関わりで
食事形態や姿勢、介助方法を整えたところ、
何とか食事再開も可能となり、一旦は
自宅退院ができました。
しかし退院の6日後、再び誤嚥性肺炎を発症して
再入院となってしまいます。
今度も治療によって肺炎は治りました。
そして食事の方はと言うと、前回でも既に
限界に近い飲み込み能力でしたが、
彼女たちの嚥下チームは諦めず、前回よりも
更に詳細な検討を行い、少しでも誤嚥しにくい
条件を試行錯誤して挑みます。
何とか「口から食べられなく」なったという
宣告を免れるために。
そして努力の結果、何とか再度の経口摂取に
繋げることができました。
しかし残念ながら、食事を再開して2週間後、
再び誤嚥性肺炎を発症してしまうのです。
一方で101歳の身体はその間にも、着実に
一段ずつ老衰の階段を下り続けていました。
日を重ね、肺炎を繰り返す中で、少しずつ
少しずつ、体力も食べる量も、飲み込みの力も
衰えていくのは、誰の目にも明らかでした。
一般的には「口から食べられなく」なった
と言われる状態でしょう。
彼女はそう言いませんでした。
「こうすれば、何とか少しだけ食べられます。」
その背景には、ご家族、医師、看護師、
リハビリスタッフや嚥下スタッフ、
ソーシャルワーカーなどが
何度も話し合いを重ねて導いた、
一つの答えがありました。
老いを受け入れ、
自然なまま、食べられるだけを食べ、
住み慣れた我が家で最期の日を迎えていく・・・。
「食べられない」のではなく、
食べながら最期を迎える。
そのために、彼女は退院までご家族に
指導を続けます。
そしてついに、101歳の女性は
自宅に帰ることができました。
退院してからも女性は僅かずつの食事を続け、
退院から6日後に息を引き取りました。
娘さんに添い寝をしてもらいながら、
穏やかに、安らかに。
あらためて、あなたの大切な人が
「口から食べられなく」なった時、
あなたはどうしますか?
東山会は、一般急性期病院、人工透析、予防医療、在宅医療・介護の4つのドメインでサービスを提供しています。
調布東山病院:一般急性期病院、透析センター、ドック・健診センター、在宅センター
桜ヶ丘東山クリニック:人工透析専門クリニック
喜多見東山クリニック:人工透析専門クリニック
口から食べられなくなったら、どうしますか?
公開日 2022/08/17
皆さんはこんなことを考えたこと、ありますか?
当院の「緩和会」は毎年様々なテーマで勉強会を
行っておりますが、昨年度1年間を通して
皆で考えていたテーマが、
「口から食べられなくなったら、どうしますか?」
です。
老いが進み、動けなくなり、
認知機能が落ち、飲み込みの能力が落ち、
やがていよいよ口から食べられなくなったら・・・?
日本語には「老衰」という言葉があります。
「老いて心身の衰えること」という意味です。
穏やかに、少しずつ老化が進み、
少しずつ心身の機能が衰え、最後は眠るように・・・。
誰が見ても分かる形で、一歩ずつ、一歩ずつ、
老いが進めば、その自然の摂理に抗う人は
あまりいないかもしれません。
しかし、その過程で肺炎や心不全などの病気が
入り込むと、いくつかの段階を飛び越えて、
突然「口から食べられなく」なったように
見えてしまうこともあります。
実はそれは「突然」食べられなくなったのでは
なく、それまで一段ずつ階段を下りていた方が、
身体の大きなイベントによって数段転げ落ちて
しまったようなものです。
その間の「数段」を見ていないので、
ご家族にとってはあたかも「突然」訪れた
状態のように見えるのですが、
実はその「数段」は、遅かれ早かれ下りていく
はずであったもので、残念ながら取り戻すことが
できないことが多いのです。
病院に勤務していると、そのようなご高齢の
患者さまが数多く入院されます。
誤嚥性肺炎(誤って食べ物などが気道に落ちて
肺炎を発症すること)で入院し、
抗菌薬の点滴で肺炎自体は改善したものの、
身体の機能や飲み込みの能力が回復せず、
口から十分な栄養を摂れる状態に戻れない。
そのような患者さまをこれまで何度も
見てきました。
その時点で私たちはご家族と相談します。
「胃ろう(お腹に穴を開けて胃にチューブを通し、
直接胃の中に栄養を送ること)にしますか?」
「中心静脈栄養(体の中心を通る太い血管に管を
入れ、高濃度の栄養剤の点滴をすること)に
しますか?」
「普通の点滴でわずかばかりの栄養を入れて
いきますか?」
「食べられる分だけを食べて、あとは自然に任せて
いきますか?」
ご家族にとっては青天の霹靂です。
「そんなことを言われても決められない」
「大事な家族だから、一分一秒でも
長生きしてほしい」
「そんな餓死させるようなこと、
自分にはできない」・・・。
大切な家族。
最も身近で最も愛する人に降りかかった試練。
その命に関わる決定を、自分がしなければいけない。
葛藤するのも無理はありません。
私たちは様々な方法のご説明はしますが、
最終的には患者さまのことを最も愛するご家族の
意思に従っていきます。
去る9月11日、「緩和会」は石飛幸三先生を
当院にお招きしました。
当院スタッフ及び近隣の特別養護老人ホームなどの
スタッフ、総勢約100名という大観衆の中、
石飛先生の御講演を拝聴しました。
講演会のポスター
当ブログをご覧の方の中にも、石飛幸三先生を
ご存知の方は多くいらっしゃるかと思いますが、
石飛先生は「平穏死」という言葉を世に送り出した
著明な医師で、現在は特別養護老人ホーム
「芦花ホーム」の常勤医を務められています。
代表作
『「平穏死」のすすめ
~口から食べられなくなったらどうしますか~』
をはじめ、多数の著書を執筆する傍ら、
全国で数多くの講演会を開催し、
「人生の終末期をどのように迎えるべきか」
を世の中に問い続けています。
石飛幸三先生
石飛先生は元々腕の立つ血管外科医でした。
大病院の副院長を何十年も勤め、動脈硬化と
闘いながら数多くの患者さんを救ってきました。
輝かしい経歴ですが、先生はその頃のご自身を
「部品の修理屋」と例えます。
長年使って年老いた部品を修理して、
また何年か生きられるようにする・・・。
しかしホスピスで看取りの場と出会い、ある時から
人生の最期を迎える方々に目を向け始めます。
そして医者として第二のステージとして
選ばれたのが、特別養護老人ホームでした。
そこで出会ったご高齢の方々の姿に、
先生は言葉を失いました。
認知症が進み動けなくなり、
口からものを食べられなくなり、
胃ろうを作って栄養剤を注入される。
コミュニケーションは取れず、
手足は曲がったまま固まり、
されるがままに生かされていく。
ふと目をやると、枕元には元気な頃の笑顔の写真。
とても美しく輝かしい人生を送ってきた方の、
人生最後の姿がこれで良いのか・・・?
それから石飛先生の戦いは始まります。
ホームから誤嚥性肺炎で病院に送られ、
治療後に食べられないことを宣告され、
胃ろうを勧められた患者さん。
息子さんは自然のままで
最期を迎えさせてあげたいと思いました。
「胃ろうをしなければ餓死させることになる」
とまで言われましたが、先生は息子さんの
気持ちをくみ、
「ホームで責任を持って引き取る」と言い放ち、
半ば強引に連れて帰ります。
当初はホームのスタッフも反対しました。
「そんな危ない飲み込み能力で、
食事介助なんてできない」と。
息子さんは「それならば自分が全部やる」と
毎日3食、自ら食事介助をするようになります。
その姿をみるうちに、当初尻込みしていた
スタッフが手伝い始めます。
そしていつしか、皆が一丸となって患者さんを
介助し、食べられるだけを食べ、穏やかに、
自然な最期を迎えていきました。
それから月日がたち、芦花ホームでは
「平穏死」が当たり前になっていきます。
人工栄養は行わず、自然の摂理に任せ、
食べられなくなったら最期を迎える。
講演の最後に流されたビデオには、
スタッフ総出で奥さんとの結婚記念日を
お祝いしてもらうおじいさんの姿が
映し出されていました。
間もなく命の灯が消えることを悟ったスタッフが、
何か人生の最期にしてあげられることはないかと
相談し、企画したそうです。
おじいさんはその数日後に息を引き取った
そうですが、ビデオに映し出された皆の顔には
笑顔しかみられませんでした。
「食べさせなかったら死んじゃうじゃないですか」
食べられなくなった患者さんを前にして放たれる
そんな声に、石飛先生はこう答えます。
「食べさせないから死ぬのではない。
死ぬから食べないのだ」
人は最期が近くなると、余分なものは受け付けず、
体の中を少しずつ整理し、いらないものを全て
捨てて、軽くなって天に昇っていくのでしょう。
今回参加した当院及び近隣施設スタッフの
皆さんは、様々な思いを胸に帰路についた
ようです。
講演会の様子
あなたの大切な人が、口から食べられなく
なった時、あなたはどうしますか?
普段あまり考えることのないことですが、
たまたまこのブログをご覧になったことを
きっかけに、ご家族で考えてみるのは
いかがでしょうか。
東山会は、一般急性期病院、人工透析、予防医療、在宅医療・介護の4つのドメインでサービスを提供しています。
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調布在宅ケアの輪
公開日 2017/08/30
今回は調布東山病院副院長の中村ゆかり医師から、
“臨床倫理”に関する活動のご報告です。
7月13日木曜日の夜、
調布市医師会が主催する『調布在宅ケアの輪』で、
臨床倫理について講演を行わせていただきました。
『調布在宅ケアの輪』は、西田医院の西田先生が
立ち上げられた会で、今回で79回を迎えます。
在宅に関わる多職種が集まり、様々なテーマで
勉強しています。
その中の一つとして、
調布市医師会訪問看護ステーションの
井上さん、小畑さんが、
『倫理的問題に気づき、
倫理コンサルテーションのできる人材を
地域で育てる』
という取り組みをされています。
昨年、臨床倫理認定士養成講座でご一緒した縁で、
今回講演する機会をいただきました。
講演会のお題は、
『患者さんご家族を幸せにする多職種の力
~臨床倫理への誘い~
食べることが命を縮めるとしたら、
私たちに一体何かできるのか?』
です。
倫理というと、道徳・法律・哲学といった
堅苦しいイメージを持ってしまいがちで、
人が集まらないのでは、と不安でしたが、
当日はなんと70名を超える方が
集まってくださいました。
誤嚥性肺炎で入院された方が、
治療を行ったにも関わらず嚥下機能が戻らず、
食事をすれば間違いなく誤嚥もしくは窒息する、
とわかった時、
1)この方につらい結果をお伝えするべきなのか
2)食事をすることを希望された時に、
命を落とす危険があるとわかっているのに
それを認めることができるのか
3)食事をしないことを希望された時に
人工栄養手段を行うのか
正解のないこの3つの問いに対し、
12のグループに分かれて
倫理カンファレンスを行いました。
まず、4分割表を用いて、
医学的なこと、患者さんの意向、
ご家族の意向などについて、
情報(事実と価値)を整理し、
チームで共有しました。
次に、3つの問いに対して、
チームで倫理的推論を行いました。
倫理的推論を行う上でカギになるのが、
倫理の四原則です。
1)自律尊重原則:自律的な患者の意思を尊重せよ
2)無危害原則:患者に危害を及ぼすのを避けよ
3)善行原則:患者に利益をもたらせ
4)正義原則:利益と負担を公平に配分せよ
それぞれの問いに対する答えが、
倫理の四原則に従うのかそれとも反するのかを
考えます。
もし倫理原則が対立する場合、つまり、
患者さんに真実を告げることは
患者さんの自律性を尊重することだが、
患者さんを傷つけることになる。
患者さんに食事をしてもらうことは、
患者さんの思いを叶えることだが、
苦しめて命を縮めることになる。
このような場合、どうしたらいいのでしょうか?
その時は、その行為によってもたらされる
悪い結果を許容できる、相応の理由があるかを
考えます。
チーム毎にみんなで意見を出し合い、悩み、
そしてチームとして、患者さんやご家族にとって
最善となる答えを考えてくださいました。
色々な答えがありました。正解はないのです。
しかしそこには、みんなで話し合った過程と、
その答えを出した理由がありました。
宮崎大学の板井孝壱郎先生は、
倫理カンファレンスの最も大切な目的意識は、
・勝手な「想像」ではなく、根拠となる
手掛かりから「まとめ上げていく力」
・目の前の患者さんの「人としての物語」を
紡ぎ出そうとする「構想力」であること
・そして自分の「価値観」が
「独善的なもの」になっていないかどうか、
倫理的推論のプロセスをしっかり辿れるように、
出来るだけ多くのスタッフと一緒に行うこと
と言われています。
終了後のアンケートでは、
・悩んでいたことを一人で抱え込まないで、
みんなで話し合う機会を持とうと思った。
・関わる多くの人たちの知っていることを
持ち寄ろう。
・倫理的な考え方、プロセスを踏むことが
大切なことがわかった。
・自分の価値観が独善的なものになっていないか
振り返る良い機会になった。
・選択の根拠を説明できるトレーニングがしたい。
・方針を決める際に、病院の立場、往診医の立場、
ご家族の意向、関わるサービス担当者で
各々の立場から大事にしていることも違い、
意思決定に苦慮することが多く、判断の
手掛かり、よりどころを知れたことが
大きな成果だった、
などのご意見をいただきました。
この会のあと、調布地域で倫理の自主勉強会が
立ち上がりました。
倫理的な問題に気づくこと、みんなで情報を
整理して共有することがスタートですが、
最終的な目標は、倫理的視点に基づいて
問題点を言語化して論理的に考え、倫理的に
許容される選択肢を探索し、行動に移せるように
なることです。
ご一緒にいかがですか?
<終了>第93回とうざん生活習慣病教室(10/21(土))
公開日 2017/08/21
とうざん生活習慣病教室の前身である
成人病教室を始めたのが1998年4月、
現名誉院長の吉田医師が着任して
数ヵ月後のことです。
「慢性疾患の患者教育は
診察室で一人ひとりに行うより、
集団で行ったほうが良いのでは」
ということで、スタートから2年ほどの間は
糖尿病の勉強会として開催していました。
その後、
「他の成人病も取り上げてほしい」
という患者さまからのご要望により、
現在のような形になっています。
これまで取り上げたテーマは、
高血圧、心臓疾患、脳血管障害などの
糖尿病関連疾患の他、消化器系やがん、
睡眠など、多岐にわたります。
話題の病や薬の話など、アップトゥデートな
話題も随時取り入れる意欲的な編成を心がけて
おります。
現在は地域の皆さまの健康教育の場として、
好評をいただいています。
93回目となる次回は
10月21日(土)14時から、
さいたま赤十字病院 名誉院長の加藤泰一先生
(当院では毎週水曜日に診察をしていただいて
います)を講師にお迎えし、
『高脂血症(脂質異常症)の最新治療』
をテーマにお話しいただきます。
クリックで拡大(PDFファイルが開きます)
脂質異常症(高脂血症)では、
多くの患者さまが無症状です。
そのため、脂質異常症とわかるのは
健診などで受ける検査を通して、となります。
日本人では心臓脳血管疾患で亡くなる方が多く、
その原因で最も重要なものの1つが脂質異常症です。
治療にあたっては、食生活等の生活習慣改善の
ポイントがいくつかあります。
また、コレステロール値がなかなか下がらない
方に対しては、強力に下げる新しい薬も使える
ようになりました。
脂質異常症を正しく理解するとともに、
特に心臓の病気の予防を計りましょう。
第92回 とうざん生活習慣病教室
公開日 2017/05/22
5月20日(土)、
29年前から開催をつづけている
“とうざん生活習慣病教室”の
第92回目が開催されました。
今回の講師は、
東京慈恵会医科大学附属第三病院
脳神経外科 石井卓也 先生
です。
『手術で治せる認知症 ~認知症の正しい理解と早期発見のために~』を
テーマにお話しいただきました。
当日、会場には約40名もの方々が来場。
認知症への関心の高さが伺えます。
主催者である吉田名誉院長からのご挨拶の後、
講演が始まりました。
具体的な症例や、動画などを通じて、
認知症にはさまざま原因があること、
認知症の種類ごとの症状や対応など、
とてもわかりやすくお話しいただきました。
脳卒中についてもお話しいただき、
大変勉強になる会でした。
次回は、
10月21日(土)に加藤泰一先生
(前さいたま赤十字病院 院長・当院 非常勤医師)をお招きし、
テーマ:『高脂血症(脂質異常症)の最新治療 -食事療法と薬物療法-』
についてお話しいただく予定です。
皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
消化器内科 三関医師 自己紹介
公開日 2017/04/11
先日の山本医師に続き、今回は消化器内科の三関医師から
自己紹介をさせていただきます。
初めまして。三関哲矢と申します。
平成10年に旭川医大を卒業、北大第三内科(現消化器内科)に入局し、市立稚内病院などいわゆる沿岸警備隊として北海道の中を回っておりました。
医局人事を離れて帯広第一病院に入職し、ここ2年間は副院長を拝命しておりました。
この度同院を退職して、こちらでお世話になることになりました。
私はもともと札幌で産まれたのですが、父が高校の教諭だったこともあり、次の年には函館に行きました。その後空知地方の奈井江町というところで小学校時代を過ごしました。
札幌から旭川に向かって走る国道12号線沿いにあり、砂川の手前の町です。北海道の人間に奈井江といっても通じないほど奈井江は片田舎ですが、札幌からは70キロ程度でさほど遠くはありませんでした。
戦後の日本のエネルギーであった石炭を生産する炭鉱が町内に2か所あったほか、美唄、歌志内、上砂川、芦別、夕張など炭鉱の町が周りにたくさんありました。
革製品で有名なソメスサドルも歌志内の企業です。
妻は同郷の出身ですが、こちらでヴァイオリニストをしていることから私がこちらに転居することとなりました。
私の専門は消化器内科一般ですが、中でも胆膵系を中心に仕事をしておりました。超音波内視鏡を用いての観察はもちろん、ERCPも行いますし、POCSと呼ばれる親子式の経口胆道鏡も使います。
また、EUS-FNAやEUS-BDなど、コンベックス型のEUSを用いた侵襲的な治療も積極的に行っておりました。
胆膵系に限らず、消化器系の疾患を疑われましたら、お気軽にお声がけをいただければ幸いです。
一日も早く地域と病院に慣れて皆さまのお役に立てるようになってまいりたいと存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
消化器外科 山本医師 自己紹介
公開日 2017/04/07
あちらこちらでお花見のニュースが流れています。
野川の桜ライトアップもまもなくでしょうか。
さて、先日入職式の模様をご紹介しましたが、
この4月1日、当会には2名の医師が入職しました。
消化器外科の山本医師と消化器内科の三関医師です。
本日はまず山本医師より自己紹介をさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして。4月1日より調布東山病院の一員になりました
外科の山本立真(やまもとたつま)です。
平成15年に大学を卒業後、消化器外科、主に肝胆膵外科を専門とした研鑽を積んでまいりました。
消化器癌の手術、急性腹症(急性虫垂炎、急性胆嚢炎、消化管穿孔等)、鼠径ヘルニア等の良性疾患に対する手術で受診された皆様のお役に立てればと思います。
手術が終わった直後に患者さんやご家族に良く「手術は成功しましたか?」と聞かれます。
手術の成功とは安全に手術そのものが終了することだけでなく大きな合併症無く元気に退院して頂くこと、そして究極の目標である病気を治すことを含めると思います。
癌は5年を目安に再発無く経過して初めて【治った】とお伝えすることが出来ます。手術が終わって退院した後も信頼して外来通院して頂ける存在でありたいと思います。
私自身3児(小6と小2の息子、2歳の娘)の父として日々地域のありがたみを実感しています。
これから自分の専門性を生かして皆様に少しずつ還元していければ幸いです。宜しくお願い致します。