調布東山病院で、毎週月曜日の午前に
血管外科外来を担当していただいている
佐藤紀医師が、今回も鑑賞した映画に
関する文章を寄せてくださいました。
原題はDarkest Hour。
辻一弘氏が特殊メークでアカデミー賞を
取った作品です。
しかしその割には上映館が少なく、
私は川崎まで行って見ました。
立川でもやっているようなので、
近い方はどうぞ。
まずは二つの写真を見てください。
(Focus Featuresより引用)
上が主演のゲイリー・オールドマン、
下が彼が演じるところのチャーチルです。
同一人物とは思えません。
オールドマンは、撮影のあるときには
午前2時にスタジオ入りしてメークを受け、
撮影に臨んだとの事です。
特殊メークとは「猿の惑星」や「進撃の巨人」
だけではないのですね。
さて、チャーチルの前任の英国首相
チェンバレン、外相のハリファックスは、
台頭してきたヒトラーに宥和政策をとります。
一見平和主義の様でしたが、結局ヒトラーは
Blitzkrieg(電撃作戦)で大陸欧州を席巻。
イギリス軍将兵30万人はダンケルク海岸に
追い詰められ、全滅の危機に直面します。
自信を失ったチェンバレンは辞職、
野党にも受けのよかったチャーチルに
ジョージ6世から組閣の命が下ります。
1940年5月の事でした。
チャーチルときたら朝からスコッチを飲むは、
葉巻は手放さないは、毎日昼寝するはという
人物です。
チャーチルの昼寝はうとうとするなどという
ものではなく、きちんと寝間着に着替え、
例の三角帽までかぶってしっかり寝るもの
だったようで、昼寝に差し支えると言う理由で
国王との面会時間にも注文をつけます。
チャーチルは野党には人気があったのですが、
与党には反対する者が多く、彼は与党を懐柔
するため、戦時内閣にチェンバレンと
ハリファックスを残します。
不可能と思われたダンケルクからの将兵撤退の
ために、チェンバレンとハリファックスは
イタリア首相ムッソリーニの仲介により
ヒトラーと講和を結ぼう、と主張します。
与党内からの要求も多く、徹底抗戦主義の
チャーチルも一時心が揺らぎます。
そのとき、国王ジョージ6世が彼の自宅を訪れ、
伝えます。
「私は常に君の味方だ」
「英国王のスピーチ」(2010年)では
吃音に悩んでいた国王は、この映画では
雄弁に語りました。
その後、チャーチルは出勤途中のロールスロイス
から急に降りて、一度も乗った事のなかった
地下鉄に乗り込み、居合わせた乗客に意見を
聞きます。
(車内で葉巻を吸うのはいただけないけれども)
「平和だが、ロンドンにハーケンクロイツ(※)
がひるがえる奴隷の平和を取るか、
つらく犠牲の多い戦いを戦い自由を選ぶか」
※「ハーケンクロイツ」:ナチスドイツのシンボル
乗客の男性、女性、それに子供までが
「戦おう」
と唱和します。
そして、「遅かれ早かれ人は死ぬのだ」
車内でチャーチルがローマの詩人ホラティウスの
詩を暗唱しはじめると、乗り合わせていた
黒人青年がその後を続けます。
「ならば強敵に立ち向かって死ぬ方がいい」
感動的なシーンですが、これは史実には
ないようです。
そのほかは、チャーチルのタイピストの
エリザベス・レイトンにいたるまで
実在の人物です。
そしてあの有名な名演説、
「我々は最後まで戦い抜く。
海で、空で、海岸で、敵の上陸地点で、
野原で、街中で、丘で戦う。
いかなる犠牲を払っても祖国を守り抜く。
断じて降伏はしない」
このようにして彼は英国国民を鼓舞したのです。
ダンケルクの30万人は彼の奇策によって
救出されましたが、一方で少し南のカレーに
孤立していた4千人のイギリス兵は、
救出の時間稼ぎのためのおとりとなる任務を
命ぜられ、全滅しました。
チャーチルがカレーの部隊に送った電文は、
「君たちは救出されない。
繰り返す、救出されない」
この電文を口述タイプしたエリザベスは
タイプしながら涙を流します。
机の上には、ダンケルクへの撤退の際に
命を落としたエリザベスの兄の写真が・・・。
戦争は実に残酷ですね。
2000年の映画、「U-571」で
タイラー大尉が艦長に就任する条件として、
部下に死を命ずることが可能か、と
問われたことを思い出しました。
それにしても、チャーチルもヒトラーも
演説が上手ですね。
まさに、言葉は人を動かす。
いつの時代にも、ハリファックスのように
戦いを恐れるあまり、独裁者にすり寄る輩は
いるものですが(隣国にもいますね)、
それがどのような結果をもたらすか、
歴史が物語っています。
地味な映画ですが、リーダーの資質とは、
またプロパガンダとは何かと考えさせられる
映画でした。