調布東山病院で、毎週月曜日の午前に
血管外科外来を担当していただいている
佐藤紀医師が、先週末お隣にオープンした
トリエ京王調布C館、シアタス調布さんで
早速映画を鑑賞されたそうで、文章を寄せて
くださいました。

大阪行きの新幹線は名古屋を出ると
北西に向かい、琵琶湖のほとり米原を
目指します。
途中伊吹山地と鈴鹿山脈との間の隘路を
通りますが、冬期の降雪で新幹線の遅れの
もととなることの多いところです。

ここが旧暦慶長5年9月15日
(西暦1600年10月21日)、
徳川家康率いる東軍7万4千、
石田三成率いる西軍8万が合戦に及んだ
関ヶ原です。

戦力はほぼ互角と言ってよいのでしょうが、
明治時代に両軍の配置図を見せられた
欧州のある軍人は、鶴翼の陣をはった
西軍の勝ち、と直ちに判定したそうです。

しかし実際にはわずか6時間の戦闘の後に
勝利を得たのは東軍でした。

良く知られているように、その理由は、
西軍15,000の兵力を指揮する
小早川秀秋の裏切りと、同じく
15,000の兵を抱えた毛利秀元の
不参戦でした。

従来勝利者である家康が英雄視され、
負けた石田三成は評価が低かったのですが、
原作者司馬遼太郎は三成を不器用な理想主義者、
家康を策士と描きます。

一見誰にも人当たりのよい家康は
加藤清正、福島正則を手なずけるのみならず、
合戦を制した小早川秀秋の懐柔にも
成功しました。

家康は役所広司、三成は岡田准一が演じます。
原作にもある、三成が心を寄せる女忍者
初芽は今をときめく有村架純が演じます。
涙袋の目立つ顔はかわいすぎるのですが、
初の殺陣もなかなかの好演でした。
メインの合戦の場面も迫力があります。

三成は敗戦の後逃げのびるのですが、
結局捕縛され三条河原で斬首される事と
なります。

なぜ自刃せず恥をさらしたのか、
疑問に思っていたのですが、
この作品はそれなりの解釈を行います。

すなわち、死に臨む前に
気にかかる人たちの安否が知りたかったと
いうのが理由というわけです。

19歳で合戦の趨勢を決めることとなった
小早川秀秋は、勝利者東軍についたにも
かかわらず不遇な生活を送り、21歳の若さで
この世を去ります。
アルコール中毒といわれています。

新幹線は関ヶ原を、ものの1、2分で
駆け抜けます。

歴史学者磯田道史さんは、
大阪に向かうときには、この短い間に
家康の気持ちで合戦場を眺め、
東京に向かうときには
三成の気持ちで布陣を考えるとのことです。

昭和天皇は小早川秀秋が嫌いだと、
ことある毎に言っていたそうですが、
磯田さんも関ヶ原にさしかかるたびに、小声で
「小早川卑怯!」とつぶやくとのことです。

調布の再開発で、数年前にパルコの映画館が
閉鎖されてからなくなっていたシネコンが
復活しました。
毎週月曜、毎月1日は1,100円で鑑賞
できることは嬉しいです。