前回のブログと同じタイトル、ではありません。
今回は「」がついていますね。

「老いが進み、動けなくなり、
 認知機能が落ち、飲み込みの能力が落ち、
 やがていよいよ口から食べられなく
 なったら、どうしますか?」

その問いに対する一つの答えを、
先日当院にお招きした石飛幸三先生は
「平穏死」という言葉で表されました。

前回のブログをまだご覧になっていない方は、
まずそちらをご一読いただければ幸いです。

さて、今回みなさまにお伝えしたいのは、
実は「その一つ前の段階」です。

当院は急性期病院という立場にありますが、
いよいよ「口から食べられなく」なってきた
ご高齢の患者さまが、数多く入院されます。

例えば誤嚥性肺炎で入院し、
抗菌薬の点滴で肺炎自体は改善したものの、
身体の機能や飲み込みの能力が回復せず、
口から十分な栄養を摂れる状態に戻れない。

そんな患者さまです。

この段階でご家族に求められるのが、
今後どのように栄養を与えていくか、
あるいは自然に任せていくか、
という選択になります。

胃ろうを作るか、中心静脈栄養を行うか、
普通の点滴のみを行うか、
食べられる分だけを食べて、あとは
自然に任せていくか・・・?

「胃ろう」「点滴」「自然のまま」。
言葉で言うのは簡単です。

しかし、それはご家族にとって
愛する人の命の選択であり、
そこには常に悩み、苦しみ、悶え、
涙する姿があります。

ですから「もう食べられません」という宣告は、
深刻な病名を告げる時と同様、私たちにとっても
非常に重大な告知なのです。

では「口から食べられなく」なるとは、
どういうことでしょうか?

普通の食事を普通に食べさせていたら
誤嚥性肺炎を数回発症したので、
「もう危ないから食べさせられません」
というのは「口から食べられなく」なった
と言えるでしょうか。

何とか口から食べられる方法はないかと、
本気で考えたでしょうか。

体の調子や精神の調子を整え、
再挑戦してみたでしょうか。

その方の好きな食べ物を用意してみたり
したでしょうか。

口の状態や歯の状態に気を配りは
したでしょうか。

飲み込み能力に合わせ、食べ物の形態や
調理方法を工夫してみたでしょうか。

食べる環境や食べる姿勢にも配慮は
されたでしょうか。

食事の介助方法を見直してみたでしょうか。

一生懸命考え、あらゆる手を尽くしてもなお、
どうしても「口から食べられなく」なったので
しょうか・・・?

先ほど記した「その一つ前の段階」とは、
患者さま・ご家族に「食べられなく」なった
という重大な告知を行うまでの、患者さま、
ご家族、そして私たちの仲間の戦いです。

前回のブログでご報告した通り、
9月11日に石飛幸三先生を当院にお招きして
ご講演いただいたのですが、
講演会は2本立てで、石飛先生のお話に先立ち
緩和会メンバーであり、言語聴覚士でもある
加藤あすか氏の講演がありました。

言語聴覚士は、音声機能、言語機能、
聴覚機能などに障害のある患者さまの
リハビリや指導・援助を行う職種ですが、
その業務に嚥下訓練(飲み込みの訓練)
が含まれます。

嚥下訓練が仕事ですので、
「口から食べられなく」なりつつある
患者さまを前に、常に第一線で
戦っているのが実は彼女なのです。

治療によってある程度病状が落ち着き、
いよいよ食事が可能かどうかを評価する。
その段階で彼女の戦いは始まります。

「どうやったら食べられるか」
「何か方法はないか」を常に考え、
あらゆる手を尽くす。

その中で様々な苦悩や葛藤が生じ、
翌日にまた挑戦し、時には喜び、
時には新たな悩みが生じ、その翌日に
また挑んでいく。

何とか「口から食べられなく」なったという
宣告をしないで済むように、最後まで
もがき続けるのが彼女です。

そんな毎日を送る中で、
彼女はある一人の高齢患者さまと出会います。

患者さまは101歳の女性。
超高齢ですが、それまでは何とか食事も
自分で摂れていました。
しかしある日、誤嚥性肺炎を発症して
当院に入院されます。

肺炎は抗菌薬治療で治癒し、彼女の関わりで
食事形態や姿勢、介助方法を整えたところ、
何とか食事再開も可能となり、一旦は
自宅退院ができました。

しかし退院の6日後、再び誤嚥性肺炎を発症して
再入院となってしまいます。

今度も治療によって肺炎は治りました。
そして食事の方はと言うと、前回でも既に
限界に近い飲み込み能力でしたが、
彼女たちの嚥下チームは諦めず、前回よりも
更に詳細な検討を行い、少しでも誤嚥しにくい
条件を試行錯誤して挑みます。

何とか「口から食べられなく」なったという
宣告を免れるために。

そして努力の結果、何とか再度の経口摂取に
繋げることができました。

しかし残念ながら、食事を再開して2週間後、
再び誤嚥性肺炎を発症してしまうのです。

一方で101歳の身体はその間にも、着実に
一段ずつ老衰の階段を下り続けていました。

日を重ね、肺炎を繰り返す中で、少しずつ
少しずつ、体力も食べる量も、飲み込みの力も
衰えていくのは、誰の目にも明らかでした。

一般的には「口から食べられなく」なった
と言われる状態でしょう。

彼女はそう言いませんでした。

「こうすれば、何とか少しだけ食べられます。」

その背景には、ご家族、医師、看護師、
リハビリスタッフや嚥下スタッフ、
ソーシャルワーカーなどが
何度も話し合いを重ねて導いた、
一つの答えがありました。

老いを受け入れ、
自然なまま、食べられるだけを食べ、
住み慣れた我が家で最期の日を迎えていく・・・。

「食べられない」のではなく、
食べながら最期を迎える。

そのために、彼女は退院までご家族に
指導を続けます。

そしてついに、101歳の女性は
自宅に帰ることができました。

退院してからも女性は僅かずつの食事を続け、
退院から6日後に息を引き取りました。

娘さんに添い寝をしてもらいながら、
穏やかに、安らかに。

あらためて、あなたの大切な人が
「口から食べられなく」なった時、
あなたはどうしますか?

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